6月26日11時より文京区白山寂円寺
にて、JA1AB 市川洋氏の葬儀が行われました。
JA1AA 庄野さんとの
  最後のアイボール写真です JA1AA庄野さんの弔辞です

  すでに天上に昇られました Julliet Alfa one Alfa Bravo
JA1AB 市川様
あなたは既に市川様しか登ることの許されなかったのでありましょう
人生の未踏峰を見事に登り切られました
この日本がかって味わった事のなかった敗戦と、米軍の占領。
これに朝鮮戦争の勃発に伴う最悪の環境下であなたの挑戦された
アマチュア無線の解放運動の、厳しい日々を私は学びました。
 また、1952年7月27日にあなたが JA1AB の試験電波で
叫ばれた「バンザイ!」の声も聞きました
その後は、奔流となって行われた内外局との交信や景信山を
はじめとする山々からの声が響きましたしかしあの、国師が岳
での遭難と奇跡的生還のニュウスそしてその後あなたの傾倒された
ボランティアの大運動さらには思いがけない難治病の宣告を受け
られてからのいのちの証しとしての超人的な交信記録それにまた
丁寧な交信証の発行をされるあなたの情熱に、どれほど多くの
ハムが励まされたことでしょう 有り難うございました  私は、
いまだすこし地上に残りますが・・・
<TNX es CU AGN on the Air / 
 ありがとうございます
  天上で又お会いします> と申し上げますお導きください
        2000年 6月26日  JA1AA 庄野久男

 庄野さんから写真が届きましたので紹介します。

御子息 市川良介氏
葬儀の模様
市川さんは闘病の効無く6月23日午後3.30分にサイレントキーされました。
式には筑波大学副学長をはじめ、生前の故人の大きさを示すように
大学関係者、経済企画庁方面のかた、障害者ハムクラフ゛方々など、
色々な方面の人がいらしてました。
無宗教で行われたため堅苦しさもなく、落ち着いた感じで献花を行う形で
お別れしました。最後に棺の中に菊の花を入れて、御顔を拝見しましたが、
さすがに闘病の後が見られましたが、お孫さんの書かれた絵が胸に飾られて
いるのが印象的でした。私も98年のハムフェアで撮ったたくさんの人達に
囲まれた写真を入れてきました。生前本人から頼まれていたこともあり、
御世話になった方々に市川さんのサイレントキーをお知らせします。

 きっと御空の上で聞いていると思います、

 御冥福を御祈りします。

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